2008年06月08日
16年ぶり五輪出場!!
いやいやいやいやいやいやいや、おめでとう!!予想通り、フルセット闘い抜いてアルゼンチンを撃沈!
最終セットはハラハラしたけど、精神的な粘り強さと、オリンピックへの想いの強さが勝利を引き寄せたね。
観客席には大古も来てたね。
で、二人のコメントが↓こちら。
大古 「植田君の実直さが選手の心を変えた。普段から、一戦一戦ベストを尽くすことの尊さを説いていた」と称賛した。
松平 「日本の男子バレーを生き返らせた。まだ五輪でメダルを取れるスパイクではないし、レシーブやつなぎも下手。だが、伸びしろはいっぱいある」。
さすがに松平さんのコメントは厳しいけど、事実だから仕方ない。
連続失点はやらかすし、つまらないミスもまだまだ多い。
取れるはずのセットをみすみす落として、わざわざ苦しい試合展開にしちゃうしね。
メダルには程遠い、それは次のワールド・リーグで思い知ることになるだろうなぁ。
でもね、それでも消えかけていた男子バレーの火を再燃させたわけだからね。
もし北京に行けなかったら、男子バレーの今後は相当厳しいものになってたはず。
男女揃って北京へ。好かったね、植田君。
それとさ、荻野君。
『痛みに耐えてよく頑張った!! 感動した!!』
誰かさんのパクリだけど、まさにドンピシャな贈る言葉っしょ?
今日の最終戦、アルジェリアにスカっと勝って、大会を終えてちょ!
監督の言う通り、残念ながら選ばれなかった選手も、控えの選手たちも、本当に全員で捥ぎ取ったチケット。
本番の北京ではビビルことなく、思い切ってプレーして来てくれ!!
◆2008北京オリンピック バレーボール世界最終予選
A代表、なんとかドローだったねぇ。
前半、滑り出しで一点先行されたときにはどうなることかと思ったけどね。。。
なんとかPKで追いついたと思ったら、瞬く間に逆にPKを取られちゃうし。
楢崎のスーパー・セーブはお見事だったね。
大久保がレッドカード、闘莉王はイエロー(一枚目)を貰っちゃったけど、なんとも審判の判定が・・・ねぇ。
毎度のこととはいえ、アウェイは審判も敵に回っちゃったりするから敵わんよなぁ。
来週はタイだったよね。
大久保が出られないのは痛いけど、その分他の選手にはチャンス。
頑張って欲しいね。
それにしても、オシムも岡田も選手交代のタイミングが遅いのは何故??
ほんと、苛々するぐらいヘタだよねぇ・・・。
バレー五輪決めた、立役者は16年前のバルセロナ知る男
(2008年6月7日23時21分 読売新聞)
北京五輪バレーボール男子最終予選で7日、4大会ぶりの五輪出場を決めた日本男子。
立役者はチーム最年長、38歳の「おじさん主将」荻野正二選手(サントリー)。
五輪を逃せば引退も覚悟していたが、自ら試合を決めるスパイクを放つと、歓喜の輪に飛び込んだ。
「勝って良かった」。涙声がかすれた。
レシーブが巧みでスパイクも打てる万能プレーヤーとして1989年に全日本に選ばれ、バルセロナ五輪も経験。
しかし、その後、両ひざ故障などに苦しみ、手術で1年以上もリハビリに費やした。
全日本も98年から7年間遠ざかっていた。
「もう限界かな」。
バルセロナ当時の仲間はみんな、ユニホームを脱いだが「もう一度五輪」の思いを抑えられなかったところに、バルセロナ五輪時の主将だった植田辰哉・現監督から声をかけられた。
「また、日の丸の重みを感じながらプレー出来るなんてこんな幸せはない」。
古傷の治療は欠かせないが、炎天下でも若手と同じ練習を行った。
体重は10キロ近く減っても監督と若手の橋渡し役など裏方役を務めた。
日本男子バレー復活へ、鬼気迫る姿はチームの精神的支柱だ。
だから、出番はピンチが多い。
7日も第3セット、アルゼンチンの猛追の場面で起用されると冷静なプレーで窮地を救った。
14歳年下の石島雄介選手(堺)は「苦しい時こそ頼りになる」と話した。
選手生活の集大成を迎える2度目の五輪。
試合後「こんな主将についてきてくれてありがとう」と仲間と抱き合ったが、感激はそこまで。
「北京ではメダルを狙いたい」とすぐに前を見据えた。

(2008年6月7日23時21分 読売新聞)
北京五輪バレーボール男子最終予選で7日、4大会ぶりの五輪出場を決めた日本男子。
立役者はチーム最年長、38歳の「おじさん主将」荻野正二選手(サントリー)。
五輪を逃せば引退も覚悟していたが、自ら試合を決めるスパイクを放つと、歓喜の輪に飛び込んだ。
「勝って良かった」。涙声がかすれた。
レシーブが巧みでスパイクも打てる万能プレーヤーとして1989年に全日本に選ばれ、バルセロナ五輪も経験。
しかし、その後、両ひざ故障などに苦しみ、手術で1年以上もリハビリに費やした。
全日本も98年から7年間遠ざかっていた。
「もう限界かな」。
バルセロナ当時の仲間はみんな、ユニホームを脱いだが「もう一度五輪」の思いを抑えられなかったところに、バルセロナ五輪時の主将だった植田辰哉・現監督から声をかけられた。
「また、日の丸の重みを感じながらプレー出来るなんてこんな幸せはない」。
古傷の治療は欠かせないが、炎天下でも若手と同じ練習を行った。
体重は10キロ近く減っても監督と若手の橋渡し役など裏方役を務めた。
日本男子バレー復活へ、鬼気迫る姿はチームの精神的支柱だ。
だから、出番はピンチが多い。
7日も第3セット、アルゼンチンの猛追の場面で起用されると冷静なプレーで窮地を救った。
14歳年下の石島雄介選手(堺)は「苦しい時こそ頼りになる」と話した。
選手生活の集大成を迎える2度目の五輪。
試合後「こんな主将についてきてくれてありがとう」と仲間と抱き合ったが、感激はそこまで。
「北京ではメダルを狙いたい」とすぐに前を見据えた。
- 共通テーマ:
- スポーツ全般 テーマに参加中!

